映画製作者ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマー

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映画製作者ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーのプロフィール

左ジェリー・ブラッカイマー、右ドン・シンプソン
左ジェリー・ブラッカイマー、右ドン・シンプソン

 

創造的才能をひたすら娯楽的追求に注ぎ続け、今やエンターテイメント界のトップに君臨するハリウッド屈指の黄金製作コンビ、ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマー。稲妻ロゴで始まる彼らの作品は世界中で愛され、常に記録的な大ヒットを巻き起こしている。

2人が出会うまで

 ドン・シンプソン ( 写真右 )は、1945年10月29日、ワシントン州シアトルに生まれる。アラスカ州アンカレッジで育ち、オレゴン大学卒業後、サンフランシスコのアメリカン・コンサーバドリー・シアターで俳優と脚本家として活躍。後に会計士になり、ワーナーマーケティング部門に入りスタンリー・キューブリック監督の「時計仕掛けのオレンジ」等の数々の作品のマーケティング・エグゼクティブを担当した。
  この時、映画製作者のスティーヴ・ティッシュ(「フォレスト・ガンプ」など)と出会い、ティッシュはシンプソンの良きパートナーとなり、多くの仕事をサポートした。その後コロムビア映画などで脚本執筆に従事し、75年パラマウントに移る。当時のパラマウントといえば、現ディズニー会長のマイケル・アイズナー、現ドリーム・ワークスSKGパートナーのデビッド・ゲフィン他、未来の大物たちが数多く修行中であり、シンプソンは着々と人脈を広げながら、これまでになかった映画作りの基盤を固める。77年副社長に昇格。80年には主席副社長、翌年にはワールド・ワイドの製作社長に。その頃、ティッシュの友人である、ジェリー・ブラッカイマーを紹介され、「アメリカン・ジゴロ」(80)で一緒に仕事をする。その後「アーバン・カウボーイ」(80)、「愛と青春の旅立ち」(82)、「48時間」(82)などを手がけた。

 一方 ジェリー・ブラッカイマー ( 写真左 )は、1945年9月21日ミシガン州デトロイトに生まれる。高校時代からカメラに夢中になり、彼の撮った写真はコダックとナショナル・スコラティックの賞を受賞。アリゾナ大学に入学、心理学を学ぶ。卒業後、ニューヨークの広告代理店BBDOに勤務するが、23歳にして広告代理店数社と契約して三年半コマーシャルを製作しペプシコーラなどの広告を手掛ける。12以上のクリオ賞と、カンヌのシルバーメダルを獲得。その後、重役を経て映画界入り。「さらば、愛しき女よ」(75)を手掛けた後パラマウントに移る。80年にスティーヴ・ティッシュから紹介されたドン・シンプソンと「アメリカン・ジゴロ」で一緒に仕事をした。その後も「ザ・クラッカー」(81)、「キャットピープル」(82)、「病院狂時代」(82)などを手掛け、その頃から手腕を発揮。

コンビ結成

 「アメリカン・ジコロ」で知り合い意気投合した、シンプソンとブラッカイマーは、コンビを組む事を決意、83年8月 「ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーフィルムズ」 を設立した。当時MTVやミュージックビデオがある種の流行を作り出していた事に、目を付けたシンプソンとブラッカイマーは、MTV世代をターゲットにした、 記念すべき第1作「フラッシュダンス」 ブラッカイマー・シンプソン・トム・クルーズ83) を製作。この作品は音楽、ファッションにおいても大当たりし、全世界で2億7,000万ドル以上もの興収を得、サントラも1,200万枚以上売れる大ヒットとなった。
  それからは、 「ビバリーヒルズ・コップ」(84)、「トップガン」(86)、「ビバリーヒルズ・コップ2」(87)、「デイズ・オブ・サンダー」(90) など、MTV世代を意識した映画を次々に製作、その時代を象徴するメガヒットものばかり。「度肝を抜くエキサイティングな幕開け」で始まる第1幕、「危機と直面したヒーローが苦汁をなめる」暗黒の第2幕、「危機を乗り越えたヒーローが勝利を手中に収める」第3幕という斬新なアイデアを、パターン化することでパラマウント製作部門のトップへ昇りつめた。

シンプソン、薬物に手を出す

 だがその頃から、敬虔な宗教家として厳しく育てられたシンプソンは、ハリウッドに来てからというもの、これまで知らなかった優雅な生活を知る。映画が大ヒットし、巨額の大金を入手するたびに自制心を失い、暴力的になり始めた。常に映画をヒットさせなければならない、というプレッシャーにも押しつぶされ、薬物に手を出すようになってしまったのである。90年薬物乱用が発覚すると、9ヶ月後にパラマウントとの契約を破棄されトップの座を降ろされるが、91年には、ディズニーやソニーと契約。その頃からシンプソンは自分のオフィスにも、滅多に姿を表す事はなくなっていたが、 「クリムゾン・タイド」(95)、「デンジャラス・マインド/卒業の日まで」(95)「バッドボーイズ」(95) と製作、好調だったが、 「ザ・ロック」 (96) が最後の作品であった。
死直前のシンプソン  シンプソンは、毎晩のコカイン・パーティーや売春婦相手の異常な性行為がますますエスカレートし、挙げ句の果てはオーディションに来た女優へ性行為を強要するまでハメを外し、訴訟を受ける等の自虐の道を辿る。さらには頬、唇、顎にコラゲン注射、お腹の脂肪を抜くリポサクション手術や尻を持ち上げる整形手術、性器を大きくする脂肪注入手術と、外見を装うあらゆる手段を講じ出した。ビバリーヒルズの豪邸を訪れる人々へ自慢の銃コレクションを見せびらかし、一度履いたリーバイスのジーンズは新品と取り替え、自宅の調度品から食事するレストランまで全て最高のものを求めた。しかしそれでも彼の心が癒される事はなかった。

コンビ解消、そして死

 ブラッカイマーは映画製作者と、シンプソンの保護者の二役をするのにうんざりし始めた。それまではシンプソンについて語らずにいたが、95年8月に、シンプソンの家で友人がドラッグ・オーバードースにより死体で発見されたのが公になると、コンビを12月に解消してしまう。もちろんブラッカイマーは本当に解消するつもりはなかった。こうする事により、シンプソンに考え直すチャンスを与えたのである。だがそうはならなかった。シンプソンはますます落ち込んでしまい、薬物乱用も酷くなる一方であった。
  それから1ヶ月後の「ザ・ロック」(96)製作中の96年1月19日朝、ドラッグ・オーバードースが原因とされる心臓マヒで、自宅の浴室で死亡しているのが発見されたのである。享年52歳。このため本作品は、エンディング冒頭にあるように、彼に捧げられている。
シンプソンが生前、ブラッカイマーと共同で権利を買った作品が、まだ複数あるので、これからも劇場で彼の名前を目にする事だろう。

ドン・シンプソンの思い出に捧げる
「ザ・ロック」のエンディングより

1人となったブラッカイマー

 シンプソンの死去後ブラッカイマーは一人製作者を続け、 「コン・エアー」(97)、「アルマゲドン」(98)、「エネミー・オブ・アメリカ」(98)、 「60セカンズ」(00)、「タイタンズを忘れない」(00)、「ブラックホーク・ダウン」(01)、「カンガルー・ジャック」(03)、「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」(03)、「バッドボーイズ2バッド」(03)、「キング・アーサー」(04)「ナショナル・トレジャー」(04)等を ヒットに導いた。

輝かしい受賞歴

 2人は85年と88年には全米興行主組合から、ドル箱プロデューサーの証である、 「プロデューサーズ・オブ・ザ・イヤー」 に選ばれて、同じ88年には 「モーション・ピクチャー・ショウメン・オブ・ザ・イヤー」 にも選ばれた。98年には、「コン・エアー」で 「国際興行成績貢献賞」 を受賞し、99年には、11年ぶりに 「プロデューサー・オブ・ザ・イヤー」 に。2000年は長年の功績が称えられ 「PGAゴールデン・ローレル賞功労賞」 を受賞。ちなみにジェリー・ブラッカイマーは過去6回来日している。

 彼らの作品は斬新で常に未来を見つめるテーマを取り上げながら、ストーリー、音楽、編集などあらゆるジャンルにすべての英知を投入し、それらをパーフェクトに統合させる指揮官としてのノウハウを持ち、そして観客の心を読みとるようなアイディアは、人にエキサイティングな夢を与えてくれる。
  シンプソンは撮影所中心とした現場での経験と、ストーリー・テリングのセンスを作品に注ぎ込み、ブラッカイマーはユニークな映像スタイル、アトラクティブな音楽、創造性を持つスタッフを形成させる力を持っている。これらの力を合わせることで圧倒的な映像、エキサイティングな音楽、そして現代的なテーマを鮮明にした傑作を次々と送り出しているのだ。

ジェリー・ブラッカイマー来日履歴

  1. 1996年09月07日 横浜・八景島にて試写会「ザ・ロック」スーパー・プレビュー
  2. 1998年10月31日 第11回東京国際映画祭で「アルマゲドン」オープニング上映
  3. 2001年06月21日 東京ドームにて「パール・ハーバー」試写会
  4. 2002年02月19日 東京 台場シネマメディアージュ(シアター1)にて「ブラックホーク・ダウン」試写会
  5. 2003年07月29日 日本武道館にて「パイレーツ・オブ・カリビアン」ジャパン・プレミア開催
  6. 2003年08月27日 SHIBUYA-AXにて「バッドボーイズ2バッド」ジャパン・プレミア開催
  7. 2004年07月20日 日本武道館にて「キング・アーサー」ジャパン・プレミア開催
  8. 2004年12月16日 新宿パークタワーにて「ナショナル・トレジャー」記者会見